いつだったかは忘れましたが、最近こんなニュースが流れました。日本は50年後、人口が8000万人位になる、今の三分の二位に減るというニュースです。丁度私が少年のころ、日本の人口が8000万人位でした。その時、将来の日本の人口が今の規模になると思っていたのか。いや、50年後は予想ができないと思っていた。しかし私たちは、自分の一生については、はっきりした使命をもっていた方がよいのではないかと思います。自分の一生って50年でもいい、80年でもいい、100年でもいいですが、そういう年数のことでなく、自分の一生で何になり何をしたいのかを祈って決めることは、人生を実りのあるものにしていくと思う。
特に16章1節、「パウロ」という人をみるときに、
パウロは若いときに熱心な生き方をした。イエスさまを信じてから、予想もしない人生を歩むことになる。イエスさまに仕えることになるが、パウロのクリスチャン生涯ははっきりしていた。9章16,17節にみる。異邦人伝道は第1回目を13章でスタートした。第2回目は15章36節ー18章22節。
第2回目の伝道に出るとき、目的を作った。15章36節です。この目的が16章1-5節で果たされる。
第一、16章1-5節、第一次伝道旅行で、色々なところに集会する群が造られた。今、1節で前に伝道した所に行くが、「ルステラ」はかつてパウロが伝道していた時、ユダヤ人が石を投げてきたところです。苦い経験をした町には行きたくないと思う。ところがパウロは伝道者として辛い経験をしたところに再び行ったとき、思わぬ恵みを収穫した。若いテモテというクリスチャンに出逢った。年老いてきたパウロ、しかも体が強くないパウロにとって、若いテモテを見た時、3節「パウロはこのテモテを(伝道旅行に)連れていきたかった」自分の行くところ、どこにでも、どこまでも一緒に連れていきたかった。このテモテはパウロの異邦人伝道を進めていくのに役立つだろう。そして自分の後継者にしていくのにふさわしいと考えた。なぜそういう判断ができたのか。
(A) 1-2節、先ず「信者であるユダヤ人夫人の子で、ギリシャ人を父としていた」ことにある。ユダヤ人としての信仰をもっていた。IIテモテ3章14-17節、幼いころから聖書に親しんでいた。お母さんは熱心な純粋な信仰をもっていた(II テモテ1章5-6節)。聖書を読んで育った人は育ち方が違う。お父さんは異邦人でした。異邦人でしたが、この世の精神的なものを身につけていた人でした。人間としての知恵をもっていた。母は神の知恵をもっており、父は人としての知恵をもっていた。これから伝道していく所はギリシャ社会です。そのギリシャ的なものを身につけていた。
よいことばかりでなく悲しい面もあった。ユダヤ人が異邦人と結婚することは雑婚と言われ、ユダヤ人社会からすれば軽蔑された。そういう雑婚で生まれた子はいやしい子供とみなされた。ですからテモテはユダヤ人からは卑しめられ、ヒソヒソと話された。
私が信仰をもった母教会に、ある時オーストラリア人宣教師が入って、アメリカ人宣教師と一緒に働くことになった。このオーストラリア人宣教師は、自分たちに子どもが生まれないということで、一人の日本人の女の子を養子に迎えた。名前を「恵」とつけた。ある夏のこと、宣教師たちは避暑のいみと夏休みとして、1ヶ月軽井沢へ行った。恵ちゃんも軽井沢へ行って思う存分遊んでいると、同じ年頃の子がやってきて遊んだ。その子が何の気なしに言った。「恵ちゃんの肌、皮膚の色はどうして黄色なの?」恵ちゃんはそのことばを聞いてショックを受け、すぐにお父さんお母さんのおる所へ行き、尋ねた。「ママ、どうして私の皮膚の色は黄色なの。パパもママも白いのに、どうして私は違う色なの?」それ以来、恵ちゃんは心の葛藤を覚えながら生きていく。その後にも大きく影響していく。
テモテにとっても、母は信者でユダヤ人、父はギリシャ人ということは、ユダヤ人意識からすると軽蔑されているという辛い気持をもっている。心の葛藤をもっている。
しかしテモテはひとつのことによって乗り越えている。1節「テモテという弟子がいた」。テモテはイエスさまを信じて、イエスさまの弟子として生きている。イエスさまを信じた時、白人がどうした、黒人がどうした、黄色がどうした。細いのがどうした、太いのがどうした。イエスさまへの信仰があるとき、辛い部分の自分を乗り越えていくことができる。
尊いことは、価値あるものを理解する力があるか。人を愛する、人をあわれむことができる方針をもっているか。忍耐する力があるか、神さまを愛して信じているか、ということです。
イエスさまへの信仰をもつとき、この尊いことが分かり、人並みでない部分の自分に悩むことなどあっても小さなことです。このような体験が、これから伝道していくテモテにとっては貴重な体験になるのです。パウロはそこをとらえた。
(B) 更に2節「兄弟たちの間で評判のよい人であった」イエスさまの働き人になっていくには、周りの人々から評判が良くなければいけない。評判と言うのは、信仰をもっているからよい評判になるというものではない。ふるまい方、あり方が、信仰者として証しされているということです。信仰をもっています、といってもどうもよくない評判がある人は、伝道していく上で妨げとなっていく。
以上、パウロはテモテがハーフであることと評判のよいことから、伝道の伴侶と判断した。
次は3-5節に「教会は信仰が強められ、人数を増した」その要因をみる。
(A) テモテをユダヤ人としても認めてもらうように、割礼を施した。実はこれは15章で大問題になったことで、15章1-2, 7節にある。結論は15章11,27,29にある。つまり救われるためにはイエスさまのことを聞いて信じること。また、あり方として15章27,29節を会議で決めたばかりです。
パウロ自身、救われるためには割礼なんか必要でない、肝心なのはイエスさまを知り、信じることだと強く言い放った(ガラテヤ書)。なのに、テモテに割礼を受けさせた。なぜか。「ユダヤ人の手前」、「~に配慮して、~のためを思って」(διὰ)という意味です。ある人は言う。「パウロという人は支離滅裂で、メチャクチャな人だ。一貫性がない」と。しかし、パウロがこうしたのは、これからパウロはシラスとテモテも一緒に、色々な人々、色々な立場の人、色々な人種にイエスさまのことを伝えていく。その時、ユダヤ人をもイエスさまに導こうとするならユダヤ人との妨げになるものをできる限りなくしていく必要がある。色々なものを身につけておく必要もあるが、妨げをなくすために、ユダヤ人に配慮してテモテに割礼を施した。
この時のパウロの心の中は、Iコリント9章19-23節の心でした。ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。ユダヤ人を獲得するためである。ユダヤ人を得たいと思うなら、ユダヤ人への配慮をするということです。
(B) もうひとつは4節「エルサレムの使徒たちと決めた規定を守る」基本になることは規定を守る。規定(τὰ δόγματα)は「教義・規定・規則」で、聖書のように絶対的な基準ではない。皆が問題解決のために話し合って決めたものである。変更できるものです。しかし混乱したり、争いになったりしないための共通したあり方をするための取り決めです。その内容をみると15章29節、当然のあり方が決められた。
ある教会でのこと、一人の中学生が牧師に「嬉しいお話があります。ボクは聖書を一通り全部読みました」と話した。牧師は、そう、よくやったと、それを皆に明かした。教会の中で、大拍手でした。その中に一人の高校生がいた。呟いて独り言を言った。「ボクだって読んだんだけど」。聖書を読むと言うのは当然のことですが、その当然のことをしていくということがなおざりにされるとき、強くならない。成長できない。お互いが励まし合い、共通したあり方を守っていくことです。
第二、16章6-10節、第二伝道旅行の目的は1-5節で果たされたが、目的が果たされたからそれで終わりでなく、またこの伝道旅行は延長して先に進んでいく。イエスさまがまたおいでになる世の終わりまで宣教は進めていかなければいけない。ここでは、どこに行こうか、という判断についてです。
最初は小アジアの南の地方都市と考えたが、聖霊が禁じた。では北の地方都市と考えたが、同じく聖霊に禁じられた。聖霊が宣教を禁じたというのは意外です。聖霊は人の思いをこえて力をもって宣教の中に働いている。
私たちはどこで宣教したらよいのか。9-10節「確信した」というのは「ひとつひとつを結びつけて判断した」という意味です。
パウロは幻を見た――助けてほしい。心の飢え渇いているマケドニア人の幻夢を見たのか。それを話した。
10節「私たち」とある。4,6節では「彼ら」とあるのに、10節で「私たち」とあるのは、医者ルカが加わったからです。
パウロ、シラス、テモテ、ルカがひとつになる。テモテは後継者になれる。ルカは弱い体のパウロを支える。パウロは幻をいただいた、「志」をいただいた。それをひとつに結び付けて判断したというのが「確信した」ということです。
「ハブ空港」のハブは、自転車の車輪軸で、多方向を受入れる拠点となる空港だそうだ。
この教会もそうしたい。