2012年5月13日「エペソ騒動」兼松 一二師 : 使徒の働き 19章21-41節

今日は母の日ですが、少しご紹介したいことがある。日野原重明先生が「母のことば」という題でこんなことを記している。

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五月の第二日曜日は母の日である。欧米の教会では五月第二日曜日礼拝は「母の日」としてもたれ、母親が健在な人は赤いカーネーションを、母を亡くした人は白いカーネーションを胸につけて母を偲ぶのがしきたりになっている。

 私が学生の頃、私は教会で赤いカーネーションを胸につけてもらったのに、友達の一人は白いカーネーションをつけて寂しそうにしていたのを思い出す。母のいない今の私には、子供時代の思い出の中に、赤いカーネーションが強い印象をとどめている。母親は、子供が成人すれば独立して自分の行動を考え、責任をもって自立することを望むべきだと思う。母原病ということばがあるが、母子の病的絆が切れないことがお互いの不幸を生むことが少なくない。

母親は、息子や娘からの時たまの電話や手紙を待ち焦がれるが、巣立った子、とくに男の子は何かのきっかけがないと、母にことばを贈ることを忘れてしまう。子供たちが成人して社会に出、家を離れるとき、夫婦だけになった家庭は飛び立ったヒナ鳥の空っぽの巣のようなうつろなものになることがよくある。成人した子供が、母との強い絆から離れて生きることは、子どもに健やかさを勝ち取らせる。一方親は子供を離して寂しくなった中で、立ち上がる気力を自ら持つこと、それを友人が励ますことは、親の心の健康作り上、非常に大切である。

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老練な方の心がこめられていることばです。

 

さて、使徒の働き19章21-41節から学びましょう。パウロという人がエペソという町におった時の出来事がある。19章1節からみて、エペソでは様々な出来事が起り、すったもんだの経験をしている。私たちも予想もしていなかったびっくりすることが次々に起ります。そんな中で、

 

 

第一、輝かしいほどの体験をしている。21-22節です。

パウロは「御霊の示し」を受けた。聖霊なる神さまの導きを受けた。聖霊なる神の働きによって、私たちは、イエスさまが私たちに何をして下さったのか分るように導かれる。聖霊の働きによって、私たちは聖書が教えるイエスさまのことが分り、イエスさまを信じられるようになった。そして聖書の教える父なる神の声に従う喜びをもつようになった。

 

今、聖霊と現実の働きとのかかわりが教えられる。「パウロは御霊の示しにより、『私はエルサレムに行ってから、ローマも見なければならない』と言った。」しなければならない、という決心が起こされた。私たちは日頃あれをしよう、これをしよう、私はこのことをしようと心の中に様々の願いや計画を立てる。しかし、ここのパウロの記事から、聖霊なる神によって導かれた決心があることを教えられる。先ずエルサレムへ行かなければならない。なぜか。エルサレムにはイエスさまの教えるのを聞いた人たちがいた。イエスさまを見た人たちがいた。つまりイエスさまについて証言する、あかしする目撃証人がいた。証言に基づいた信仰を失ってはならないということです。次にローマに行かなければならないという決心です。なぜか。ローマは、これから教会が生まれてくるであろうという所です。全世界の拠点となるところです。世界宣教の足がかりになる所、そこに行ってイエスさまのことを伝えねばならない。「ローマも見なければならない」と言うが、現実には10年か15年か20年もかかったかもしれない。時間は問題でなく、御霊の導きによっていただいた決心は御霊によって実現していく(28:16)。神さまはある人に働いて決心を与える。その決心のことばを与えた御霊なる神は、間違いなく実現させる。

 

昨年、CGNTV伝道に協力してくださいと請われて3回ほどメッセージの奉仕をした。CGNTV伝道については何故、どこで行われ、どんな動機で始めたのか知らなかった。韓国のひとつの教会の牧師がこう決心したことから始まったそうです。「日本と韓国は戦争のことで長年いがみ合ってきた。もう戦後60年にもなる、赦そう。それだけでない。2010年までに全世界に2000人の宣教師を韓国のこの教会から遣わそう。」2010年にみごとに達成した。そうして実現した次の年、2011年、牧師は急に亡くなった。御霊が導く「ねばならない」というのは、聖なる決心です。

 

 

第二、その聖なる決心による伝道には困難が起った。23-29節、

決心して神さまのことを伝えていくときに、順調にいくとき(22節)と騒動が急に持ち上がる(23節)時がある。どうして騒動が起るのか。ある人たちに関わってくる現実の問題がある。24-27節、ある人々に関わる問題とは、(1)偶像の模型作りの仕事をしていること。これはお守りとして作られていた。聖書の教えることに背くような仕事に就いている時、問題になり、騒動が起る。(2)24節、収入のことです。仕事と関わっているが、聖書の教えに聞き入っていたら収入がなくなる。(3)27節、仕事の信用がなくなる。伝道が進められると、それに背くような仕事をしていると信用ガタ落ちになる。

偶像のお守りを作る人たちの話です。収入がなくなった、ということで口実を作る。26-27節、パウロは手で作ったものは神ではないと言うがこれではアルテミス神殿の威光が地に落ちてしまう、と口実を作っていく。28節、それが一気に大騒動に発展していく。口実が一気に広がり騒動になったというのは、32節から、アルテミスを信じていたからではない。人の心は乗せられ易いものであると感じる。

 

 

第三、神はパウロたちをどのようにして導き進めておられるか。(30-41節)

30-31節、パウロは、自分の宣教がもとで大騒動になった。だから弁明しようとしたが、アジア州の高官でパウロの友人だった人たちがパウロを人前に出るなと言って止めた。アジア州の高官――これは皇帝に近い立場の人、こういう人をパウロは友人として持っていて、こういう分別ある人の意見があってパウロは守られた。

もうひとつ、35節、町の書記役の働きかけ。35-40節、私たちの社会には38節、裁判があり、地方総督もいる。39節、正式な議会もある。40節、パウロの言い分には訴える正当な理由はない。むしろエペソの皆さん、あなた方が騒乱罪に問われる恐れがあります、と恐れさせた。世の人としては完璧な説得です。

 

しかし、最後に言いたい。パウロ、そして教会の宣教の面から考えると、26節の意味内容を語りたかったでしょう。この内容は17章22-31節に詳しく語られています。大女神アルテミスは人間が作った神で、偶像です。偶像に心の拠り所をもつことは偶像礼拝です。偶像礼拝は私たちの生活に浸透している。エペソ書5:5をみて下さい。偶像礼拝は人間の自我をふくらませていく。

 

聖書のことばから神さまを語っていくということは、偶像崇拝している人にとっては日常生活を根底から揺さぶられることです。逆に私たちがイエスさまを信じ、新しく生れ変ることは、日常生活に力強く作用しているのです(エペソ4:21-32)。